Sponsored Link
   

 和田のひとりごと 

  最新
 
06年
・06月 (1)
・05月 (0)
・04月 (3)
・03月 (0)
・02月 (1)
・01月 (4)
05年
・12月 (1)
・11月 (10)
・10月 (4)
・09月 (3)
・08月 (1)
・07月 (5)
・06月 (1)
・05月 (3)
・04月 (4)
・03月 (0)
・02月 (1)
・01月 (5)
04年
03年
02年
・06月〜12月 (6)
・05月 (2)
・04月 (4)
・03月 (7)

私的男優論、そこはかとなく思い出話
  ・その5 レオナルド・ディカプリオの巻
2003/06/22

『タイタニック』で一世を風靡した金髪の貴公子です。
とはいえわたしが彼の映画を見たのはただの一度。
『仮面の男』―フランスの王様と三銃士のお話です―でありました。

ディカプリオは双子の王、人格高潔で不遇にも仮面を被されて幽閉される王と、とんでもなく放埒な暴君、正と邪を演じます。

映画としてはダルタニヤンなどの「三銃士がよかった」というもっぱらの噂でしたが、わたしは悪の王のディカプリオが卓越していたと思います。
こういう点はブラピとは対極です。
ブラピの唯一の弱点は本質的に清々しくて自然にストイック、悪役できないとこですからね…。

話はディカプリオに戻しますが、この人はセクシーだとよくいわれるけれども、傲慢な支配欲を伴う狂気の酒池肉林をぷんぷんと感じさせ、その徹底した人非人ぶりが大変よいと思うのです―酒を飲みながら、笑って女を惨殺させてもなおその横顔は純粋に美しい、みとれる、その非道ぶりさえ許してしまいそうな―。
日本の時代劇でいえば織田信長ですな。

ただ信長って人物図で見る限り痩型、狂気の質がそう肉感的でない。
片やディカプリオって、欲望に忠実なタイプだから太りやすい体質でしょう、ダイエットしていない時の彼は白馬の騎士にはほど遠くまさに、美が醜悪に転じて強欲な極悪人そのもの。

わがままで美しい人が醜くなるってかなり迫力のあることなんです。
想像するに、この人はひたすら自己中心的でどうしようもないキャラなのではないでしょうか。
酷薄な悪役というのはなかなか主役を取らないものなのですが、この人ならいける。

『タイタニック』で『二都物語』のシドニー・カートンばりの献身愛を演じたのは仮の姿と思いたい。 どーせ、受けねらいなんですから。

…いるでしょ。太くてぞっとするような極彩色をした南米あたりの毛虫。
そんなすごい役と演技の開花を待ちたいものです。
天使の顔をした悪魔とか…ほんとは悪魔って天上を追われた天使だって説がありますから、ぴったりじゃあないかしら。

      ++++++++++++++++++++++++++++++++++++

次回はレオナルド・ディカプリオについて書きます。

  

私的男優論、そこはかとなく思い出話
  ・その4 トム・クルーズの巻
2003/05/22

いつか美容師の若い女性とお話をしていて、スマップの中居正広クンのファンだと聞きました。
実はこれってペットにするならリトリバーなどの大型犬がいいか、チワワ系の小型犬が好みかというのと似ている好みの問題なんだと思うのです。

中居クンのファンはたぶんトム・クルーズも好みだと思います。
そして少年っぽいタイプ=トム&中居という趣味の人はメジャーで、その証拠に中居もトム・クルーズもビッグスターです。
(かくいうわたしは、フランダースの犬のセントバーナードなど大型犬が好きなマイナー志向なので、この手の女性キラーはパスであります)

まあこれはおおざっぱなトム・クルーズ評でしかありません。少年っぽいタイプだからハンサムでも好きじゃない、うどの大木のハンサムなら誰でもいいというわけじゃあないのです。

まあ小型犬イコール少年っぽいタイプ、大型犬イコール大男の話はさておき、わたしとトム・クルーズとの出会いはいつかというとあの不朽の名作『七月四日に生まれて』であります。

しょっぱなからベトナムから帰還した傷痍軍人のトム・クルーズは車イス姿。
若くハンサムな風貌と車イスはミスマッチで、そこでまずどきりとさせられます。
ベトナム戦争の英雄、英雄とあがめ奉られながらも、下半身不随でセックスレスとわかって婚約者も去り、やがて彼は麻薬に溺れて破滅しかけていく―。

戦争というものの悲惨さを鮮烈に象徴させ得た作品でありました。
でもね、この役何もトム・クルーズでなくてもいいんですよ。
ハンサムで少年っぽいタイプ―あんまり大きい人の車イス姿は格好よくありません―ジョニー・ディップだってまにあう。
得する役とわかってやったんだろうなあという気がします。
頭の切れる人なんだろうなあとも思います。
いつくか映画も見ました。ベストヒットになるものも含めて。
元妻の女優と共演した開拓民の話まで見ています。でも題名さえ思い出せないんですね。
たしかにどれもそこそこ面白かったし、彼も下手ではなかったけどただそれだけなんです。
その意味ではマイケル・ダクラスの出る映画に似ている。

そうそう一つだけ覚えているものがあります。『インタビュー・ウィズ・バンパイア』。
でもこれを覚えているのは共演相手が激愛するブラット・ピット様だからなんです。

突然また小型犬の話に戻りますが、小型犬はくるくるまわる姿さながらに、頭がまわって甘えるのが上手いでしょう。そのあざとさが嫌なんだと思います。好きになれない。
でもわたしに好かれないことなど、「へ」でもないことです。
なぜなら小型犬は人気があって好かれて大いに稼ぐのですから。

      ++++++++++++++++++++++++++++++++++++

次回はレオナルド・ディカプリオについて書きます。

  

シカゴ 2003/04/26

話題の『シカゴ』をみました。
もう、大変感激しました。

これはもともとミュージカルの王様といわれたボブ・フフォッシーの最高傑作なんだそうです。
そんなわけで監督もブロードウエイの実力者ロブ・マーシャルの、愛人殺しというスキャンダルを逆手にとって、スターダムをかけあがっていくあばずれ美女のストーリー。

主役のレニー・ゼルウィガーはマリリン・モンロー風に決めていてなかなかです。
それから何といってもこれでアカデミーの助演女優賞をとっただけはあるのがキャサリン・セタ・ジョーンズ。
ダンスと歌ではレニーよりも断然勝っていました。
ややよすぎる肉付きも逆に目立つので存在感がありました。いうことなし。

リチャード・ギアは例によって女たちの救世主でもある悪徳弁護士という役所ですが、いかんせん歌と踊りが下手すぎ。
ほとんどが舞台の人たちだという、他の人たちとテンポが合わない。
これでは助演男優賞は取れなかったでしょうね。でもはまり役ではあったと思います。

リチャード・ギアが救う女たちは、全部実は有罪で殺したのは不実な夫や愛人、彼らの浮気相手なんですね。
これを彼は巧みに陪審員たちを味方につけて無罪にしてしまう。
女たちが歌う、不実な男たちを殺したのは正義だ、悪いことじゃない―…みたいなフレーズもパンチがきいていてほれぼれしてしまいます。

それにつけてもアメリカは女性の強い、強い国、あるいは女性たちを強いと思わせなければ男たちが立ちゆかなくなる国なのだと実感させられました。
もしかして女の美徳が根強く生きている、日本人の中高年層にはR指定かもわかりません。
ただし男性は案外大丈夫かも。
女性たちの肉体美に悩殺されて意識が霞み、歌は聞かないで済むかもしれませんから……。

とにもかくにも新鮮で斬新です。
アメリカがすごいのはこういう新しい試みを評価するフロンティア精神。
まあそういうと格好いいですが、アメリカでハリウッドでアカデミー賞を持っているから何だってできる、そういうことでもあるんですよね。

  

私的男優論、そこはかとなく思い出話
  ・その3 ケビン・コスナーの巻
2003/04/11

ケビン・コスナーを知ったのは、家族で引っ越しをしてビデオにはまっていた頃です。
スピルバーグの作品が―主に冒険物、ホラー系でしだが―続々ビデオ化されてお店に並んでいた頃でもありました。
ミステリーも書き始めたばかりで、とりたてて注文があるじゃなし、楽しく楽しく毎日ビデオを見てミステリー小説を読んで暮らしていました。

当時ケビン・コスナーが『ボディーガード』でもてはやされていましたね。来日もしたし。すでに中年でしたが、とにかく大変なハンサムということでした。
たしかにね。背は高いし顔立ちの整った人ではあるんです。

最初に見たのが例の『ダンス・ウィズ・ザ・ウルブス』でありました。
時代は南北戦争の頃、コスナー演じる北軍の将校と、居住地へと追いやられるインディアンの美女とのラブロマンスをかけた、社会派シネマでありました。
南北戦争が終わり、敵地にただ一人とり残された将校の彼がいつしか、プリミティヴに生きていくことを通じて、いつも攻撃を仕掛けてくる、自分とは反対側にいるはずのインディアンたちと心を通わせるようになるというお話。

これはアカデミー賞に輝いたものなのですが、ここでのコスナーは非常にいいんです。
ピュアな感じ、無垢な印象、何よりまだ筋骨逞しくないほっそりとした美男なんです。『ボディーガード』の時のように大きすぎない。

将校などというスティタスは、今や草の根を食べても生きていくしかない、彼の置かれた悲惨な現実の前には吹き飛んでしまい、彼は痩せ馬に乗ってとぼとぼ歩き、食べ物をインディアンたちに乞うことまでするわけですが、その姿さえみじめったらしくなく、品位は保たれていて初々しい。
この役を往年のメル・ギブソンあたりがやったらさぞかしくさーいだろうなと思ったりします。
ケビン・コスナーはこれが一番。

対して、イーストウッドと共演した『パーフェクトワールド』の犯人役は最悪です。

ただの大きな肥満児のでくのぼう―この人にシャツ姿は似合わない―ですし、『ボディーガード』でも主人公の黒人女性歌手の引き立て役になってしまっている。
それから『JFK』などの政治、社会派物は多少ましだけれども、ということはこの人はセクシーを売りにする、ヒロイン相手の芝居は不得意、ということになるんだと思います。
じゃあ最後にプロゴルファーを演じた作品はどうなのかということになりますが、あれはただ中年体型の彼と、まだまだ見られはするマスクに合わせて役を選んだ。それだけのような気がします。

そこでふさわしい役をご提案。
ビスコンティの大作に『ルードウイッヒ、神々の黄昏』という作品があって、愛人ビスコンティの死後酒浸りになって俳優をやめた、へルムート・バーガーが狂気のバイエルン王を熱演しています。

この重々しい精神世界を感じさせる主人公の役か、あるいはロシア文学の『罪と罰』のポルフィーリ役。
ポルフィーリは「殺人は場合によっては正当である」と主張する、強欲な老婆を殺した主人公の貧しくはあるが知的な青年を追いつめる判事役。
ロシア映画版『ハムレット』を演じた人、やはり颯爽とした無垢な美青年だったインノケンティ・スモクトノフスキーが中年すぎて演じた役柄です。

それからケビンというのはドイツ系の名前ですよね。
それもあって若い時ならナチスの将校の役なんかも似合うかもしれません。
ドイツ史の本を読んでいたら、ナチスの青年将校たちの写真が載っていて、若き日のコスナーを金髪にしたらそっくりだと思ったものです。
モノクロということもあるんですが、髪も眉も白く映っていて無表情な冷たい印象の美男ぞろいでした。


つまりケビン・コスナーが輝くには重厚な時代背景が必須条件なのですね。
一見セクシーであるかのようなコスナーがそうではないと実感、それでは誰がセックスシンボルなのかということに当然なりますが…。

      ++++++++++++++++++++++++++++++++++++

次回はトム・クルーズについて書きます。

  

私的男優論、そこはかとなく思い出話
   ・その2 リチャード・ギアの巻
2003/03/21

ある日突然ハリウッド映画にはまったわたし。
ハリウッド映画での初恋は何とリチャード・ギアなのです。もちろん例のメガヒット『プリティウーマン』を見て―。

『プリティウーマン』といえば不思議な映画なんですよね。
ヒロインは街娼、そしてはじまりは客と街娼という関係で、この客が実は大金持ちの白馬の騎士だったという―今時コミックでもありそうもないくさーい話なんですけど、ジュリア・ロバーツとリチャード・ギアのキャラで全世界を魅了してしまった。

特にコリー犬に似たたおやかな風貌のリチャード・ギアが大評判となった。ということなので以後リチャード・ギアが次々似たような、あるいは思いつきのギャング物などに出てギャラ稼ぎをしても、ま、いいか、あれがあったしなと思うわけです。

リチャード・ギアは女性に、もっといってしまうなら女性のみに人気のある男優です。
といってセクシーかというとそうとも思えない。

『プリティウーマン』直後わたしは彼の若い頃の映画を見ようとしたんです。
たいていはジゴロ物なんですけど、どれも最後まで見られなかった。つまり全然面白くなかったわけですよ。
ジコロ特有のアニュイな日常なんてものがごてごて出てきていて、感じたのは『ああ、この人自己中なんだな』と。
こういう「自己中ぶり」は彼が古代の王とか騎士とかやってる映画を見ても、―これははっきりした筋があるんでとりあえず最後までは見れます―、感じてしまう印象で、よくいえば王までも思索的、哲学的だったりするんです。

これにはちょっとついていけませんでしたが、他にも黒沢明の『八月のラプソディー』で突然出てきちゃうアメリカ人の役とか、『プリティウーマン』以前のぱっとしない頃のものと思われる、『背徳の囁き』での彼唯一の悪徳警官役(対する正義の刑事役はアンディ・ガルシアでした)もいまいちでした。

理由は明白。
その役は愛人に沢山子どもを生ませていてその養育費のために恐喝、収賄をしている警官なんですけど、この人には『女に沢山子どもを生ませる』という、旺盛な生殖能力をあまり感じることができないからです。
まあまあだったのは精神科医を演じたもので、ともに人格障害の美人姉妹に翻弄される少々おめでたく助平な医者役でしたが、わりに酷評でした。(題名は失念してしまった)

こんな風に書いてくるとリチャード・ギアっていう男優はあまり取り柄がないみたいですが、わたしはまた実は多少好きなんですね。ハリソン・フォードよりずっと好き。

これだと思えるショットが一つあって、それは『そしてエイズは蔓延した』というドキュメンタリータッチの映画の彼なんです。
わずか数分の出演なのですが、彼が演じているのはエイズに罹るホモの舞台美術家。
これはすんなり見れました。彼がホモかどうかは別にして地でやってるなと感じたんです。

ようはリチャード・ギアの魅力っていうのは、一種『性』から疎外された感じ、『性』を通して『性』とは対極にある何かを求めている孤高さじゃないか、っていう気がするんです。
だから彼の『一見セクシー』の奥にはもっとまがまがしい不健全なものがある、彼自身その不健全を先抜けて聖なるものを体得しようとしているのではないかと。
さらにいうなら彼のそうした試みに映画という媒体は耐えないのではないかとも。
もっと文学的なものに近いのではないかと思います。

もっともっと卑近な話にしてしまうと、リチャード・ギアは『性』の探求作家:渡辺淳一先生に似ているかもしれない。
『女性』を『男性』の側からではなく、『女性』の側から語ることのできる数少ない男性ではないかという気もするのです。
だから『プリティウーマン』の白馬の騎士役もすんなりはまったと―。

       ++++++++++++++++++++++++++++++++++++

次回は今度こそケビン・コスナーについて書きます。

  

十三階段を見る 2003/02/27

『レッドドラゴン』が素晴らしかったので調子づいて『十三階段』を見ました。
あの変身が話題の反町主演のやつです。

でもこれ羊頭狗肉なんですよね。
だって主演は明らかに元看守で東京拘置所で死刑執行を行ったこと、―絞首刑の落下ボタンを押した―がトラウマになっている定年間近の山崎努なんですもの。

最近の山崎努はこういうひなびた役なんですね。
好々爺風に目尻が下がってきたのも抜擢の理由でもあるでしょう。
少しがっかりしました。
この手の役の千両役者はやっぱり高倉健ですよ。

山崎といえば黒沢の『天国と地獄』の犯人役―苦学生の医者―で映画デビュー、痩身で四角くえらの張った顔、酷薄な歪んだ薄い唇がすてきでした。
あと大河ドラマの大佛次郎原作の『三姉妹』も大河にはめずらしく斜に構えた主人公で初々しかったです。

故伊丹監督との時代をとらえた数々のヒット作品については衆知の通り。
とはいえこの人は上手いです。ほとんど出ずっぱりでとにかく見せる話になっていました。


片や反町はといえばあの『ルーキー』のイーストウッドとまだ新人だったチャーリー・シーンの関係なんですよね。
あるいは『インタビュー・ウィズ・バンパイア』のトム・クルーズとブラピの関係。
人気はあるが演技的にいまいちと見なされている若手俳優が、名優のひきで一気にのしあがろう、あるいは長期でやっていくための格上げをねらおうという魂胆なんでしょうが、外れでした。

まず前半はほとんどしゃべらないし、後半の多少の演技は「押さえた」といえばいえるけれど、ようは演じている役を「わかっていない」、「当惑気味」にやっているだけなのです。

途中わたしは何度も『もう良い、お願いだから「利家とまつ」の信長最期のシーン、炎の中に消えてくれ』といいたくなりました。

監督もプロデューサーも姑息すぎます。黙っていれば何とか上手く見えるという高倉健風指導はやめてもらいたい。これで彼が何らか賞でもとったら、お笑いですが、山崎努がカンニングさせたテストみたいなものです。

それから作品全体の出来としては原作に申し訳ないのではないかという気がします。
とにかく山崎の演技で何とかしちゃって、反町で話題性を作っているだけで、トリックとかつじつまとか、すぐに読める展開とか、どれをとっても収斂していないのです。

乱歩賞をとった原作はもっとちゃんと書き込んで説得力を持たせています。
もっと日本の映画人はプライドを持って進んでほしいとつくづく思いました。

  

レッドドラゴン 2003/02/17

野暮用で伸び伸びになっていた『レッドドラゴン』をとうとう見ました。感激です。

そもそも『レッドドラゴン』、『羊たちの沈黙』、『ハンニバル』とあるトマス・ハリスの作品の中で最初のこれが一番いいんです。まちがいなく。
プロファイリングの骨頂が描かれているし、レクター博士の食肉殺人哲学も冷徹なポリシーとして伝わってきますし、犯人を犯人たらしめている幼児体験にしても深い。
ウイリアム・ブレイクの画『レッドドラゴン』についての理解も巧まずして衝撃的です。

にもかかわらずこの作品の運命は悲惨で、一度映画化されたものはビデオ屋にたった一本というマイナーさの低予算作品でした。
見ましたが特にこれといった印象はありません。
もちろん主演もアンソニー・ホプキンスではない。
ようはレクターシリーズのブレイクは、あの名女優ジュディー・フォスター演じるクラリス捜査官にかかっていたといえましょう。

それでいていざ続編とばかりに『ハンニバル』にまで、レクターとクラリスの人間関係を進化させ、恋愛状態にさせるともう 『お腹いっぱい』なわけですから、ファンとは苛酷な批評家といえます。

でもたしかに『ハンニバル』はハリスが、メガヒット化を意識したまわりにやいのやいの言われて二人の恋愛もどきをでっち上げさせられた上、レクターに自身がハンニバルになった可愛そうな幼児体験まで語らせ、富豪の寝たきり異常者のレクターへの復讐―しかもレクターを生きたまま豚に食わせる作戦―などをおりこむなど、巧みすぎたサービス精神があざとく、鼻につきます。

せいぜい許せるのは女性捜査官のトラウマをテーマにした『羊たち〜』まで。

そのせいかトマス・ハリスは『ハンニバル』の中で、作家としての鬱憤を爆発、やたら長すぎてバランスを欠く、イタリアルネッサンス期の建物や処刑、拷問道具などの骨董品を書きまくることでうさを晴らしているのだと思います。

ちなみにトマス・ハリスは大変な骨董収集家として知られています。
それであんな骨董よりも珍奇にして珠玉な怪人レクターを主人公に据えた作品を描くことができるわけでもあります。

というわけでもともと作品の出来は一番なのですから、大変忠実に映画化した場合これが最高なのも当然です。
レクターがハンニバルとわかったFBI捜査官、エドワード・ノートンと大格闘をして二人とも瀕死の重症を負うという冒頭も素晴らしい。

エドワード・ノートン、『ファイトクラブ』から大成長した上魅力的になりましたね。
それから往年の二枚目俳優で筋骨逞しい男性美が売りのタイロン・パワーと、やや華奢で優雅な印象のモンゴメリー・クリフトを足して二で割った印象の犯人役の若手俳優も、いけていました。
レクターの異常さを控えめに出しているのもいい演出効果だったと思います。

この映画『サイコはもうそろそろ満腹』と感じていた時流にあって、なかなか評判がいいようです。
やはりいいものはいいのですよ。

それから時代はそろそろ女性さえ主人公にすればうけるという時代から、その手のこざかしさと関係なく、主人公の性別など関係ない時代に動いているのかもしれません。
あるいは女性側からうったえるフェミニズムではなく、男性女性関係なく家族や、人間愛までも含む愛の問題が主張される時代へと……。

ともあれひさしぶりでいい映画を見ました。
いつも思うのですが、その内容の明暗とは関係なく、いい映画はわたしに勇気と希望を与えてくれます。

  

私的男優論、そこはかとなく思い出話
・その1 クリント・イーストウッドの巻
2003/02/05

クリントイースト・ウッドと、私の出会いは監獄脱出物でイーストウッドは囚人でした。
十五年も前のことになります。

当時わたしは子育て真っ最中の上、家業にフルタイムで従事していたせいで大変忙しく、映画は十年以上見ていない、小説も読んでいないという状況。
ですから、彼と出会った作品はあるコミックの編集者が貸してくれたビデオでした。
これはちょっとロマンスっぽいのですが、当時その編集者とわたしには各々仕事に行き詰まりを感じていて、一緒に何かできないものかと精神的に寄り添う部分があったのです。
その年下の彼は大変優秀でかつ情報通でもあり、無知なわたしにいろいろ教えてくれました。
その一つがビデオであったわけです。

その頃のわたしといえばまるで映画音痴、特にハリウッド映画などディズニー以外みたことがないという始末。
加えて外国のミステリーはアガサ・クリスティーを中学の時に……などという状態でした。
もっというなら外国の男優の名前や小説に出てくる登場人物の名もなじめなくて、よく覚えられなかった……。
そんな状態でのクリント・イーストウッド『アルカドロスー囚人の島ー』であったわけです。

島からの逃亡を企てる囚人役のイーストウッドは渋い地味な感じでしたが、ナイフの切っ先のように鋭く敏捷な印象でした。
かなり背の大きな人だとわかったのは後のことで、初対面ではアメリカ人にしてはやや小柄な人だと思いました。たぶん役のために痩せていたのでしょう。
皮肉屋だという話も後で聞いたのですが、その手の知性の大安売りといった印象もなかった。
ようは切れ者でしたたかな囚人を完璧に演じていたものと思われます。
『羊たちの沈黙』のアンソニー・ホプキンスに匹敵する不気味さでした。

まあ、こんなことをいうと身も蓋もないのでしょうが、この時のイーストウッドが一番役者としてよかった。
後に見た『ダーティー・ハリー』シリーズもブレイクした作品なだけに面白いし、ハリーのイーストウッドは格好いいのですが、演技がオーバーすぎる、受ける要素をちりばめすぎている、よくあるはぐれ刑事のパターンを演じているといった感じなのです。
とはいえ女性として抱かれるのならやはりハリー役の彼しかなく、囚人役では恐くてごめんです。

その後のイーストウッドは正直いってあまり好きではありません。
ハリーをさらなる商業ベースに使った『ルーキー』はもとより、アカデミー賞の『許されざる者』や『シークレットサービス』も、めざしているのはメジャーに全世界で愛されるヒーロー像であり、ああこれでイーストウッドとシュワルツネッガーの差はなくなったと思えてつまらない。

『マディソン郡の橋』、『スペースカーボーイ』に到ってはもう見たくない代物。
わたしは彼が老いてなおのダンディズムや男の美学をこれでもか、これでもかと披瀝すればするほど、対極にある醜悪さ、老いてなお大スターでありたいという執着を見せつけられるようで閉口してしまうのです。
たしかに老いたイーストウッドは貫禄で、たぶん体重が増えたためでしょう、顔と背の大きな人であると実感させられはしますが……。

最後にイーストウッドが最も美しかったのは、テレビ映画『ローハイド』の頃です。
もちろん最年少のカーボーイ役で骨ばった造りの顔ではまだなく、どことなく虚無的で大変な美青年なのです。おそらく一見では彼だとわからないでしょう。
わたしはあの頃の彼が実は一番好きです。

        ++++++++++++++++++++++++++++++++++++

次回は『ダンス・ウィズ・ウルブス』でアカデミー賞を受けたケビン・コスナーについて書きます。
コスナーもまたこの作品の無垢な軍人役が一番美しい。

  

男は「無垢」がステキ!な時代 後編 2003/01/06

もっとも突然この手が出てきたわけではなくて、『X-ファイル』のデビッド・ディカブニーなんかその走りじゃないかと思っています。
モルダー捜査官は、年はくっていて超インテリだけど、変人というよりも世渡りが下手で中性的でありながら不思議にセクシュアル。
その源泉は信念を曲げない一徹さというよりも、魅力的な未熟さ、つまりは少年じみた初々しさと雰囲気、ルックスのような気がします。
ちなみにブラッド・ピットなんかもこれに類するスターです。

一方日本での少年フェイスのブレイクといえばやはりジャニーズ系、スマップ、滝沢ということになるのでしょうが、ハリウッドに比べるとまだ成熟していない感があります。
みんなひ弱い感じ、あるいは女性キラーのリチャード・ギア的なジゴロっぽいいかさま無垢が露呈してしまっている、古いタイプ。
これではちょっとつまらない。無垢を完璧に演じていない。

日本のドラマ、映画界にも無垢な少年の心を演技できる大人の身体を持つ男優の登場が待たれるとろです。

最後になりましたが、『キューティー・ブロンド』について。

これはおしゃれと結婚式が命と同じくらい大事な「プーちゃん」と呼ばれる、マリリン・モンローばりの肉体とブロンドの持ち主である地方都市在住の令嬢が主人公。

彼女はプロポーズを待ち受けていて、見事相手の名門出身の若者に捨てられます。
若者は親のいいつけでハーバードで法律を学び弁護士になるという。
おしゃればかりの「プーちゃん」では弁護士夫人には不向きだと見限られたわけです。

それから彼女の発奮がはじまります。
何と本質的に頭の悪くない彼女はハーバードの法学部に入学、彼と同級生になったばかりか、独特の直感と美意識、持ち前の善良さを生かして法律の分野でも頭角を発揮、ついには卒業生代表に選ばれるというサクセスストーリーです。

ここでいいのは何をしていてもこの派手派手な主人公、復讐心で法学部へ行くのではなく、ひたすら彼の近くにいるためだけだったりする。
もちろん最後は彼の方があっさりふられるわけですが、彼女をとりまく男たちはセクハラ教授などいいところがなに一つない方々ばかり。
唯一救いはいずれ婚約するらしいと最後に仄めかされる弁護士の存在なのですが、こちらはひたすら無垢で彼女を理解し続ける献身の人。

ああ、ここでも男はやはり無垢でなければならなかったのですね。

  

男は「無垢」がステキ!な時代 前編 2003/01/04

お正月用に家人が借りてきたビデオを拝借して見ました。
『キューティー・ブロンド』と『スパイダーマン』です。

『スパイダーマン』の方は、かの『スーパーマン』バイオテクノロジー版ともいえる存在。
スーパーマンが未知の星から来た異星人なのに比して、スパイダーマンの方はフツーの高校生がバイオ工場で飼われているクモに刺されてDNAが大変化、鋼鉄よりも強力な糸を手から繰り出してニューヨークの高層ビルからビルを自由自在に跳びまわるというわけです。

主人公の男優はニコール・キッドマンの恋人と噂されている御仁ですが、ふと誰かに似ていると気がつきました。
顔立ちではなく雰囲気。
先日映画の宣伝のために来日した、『ハリー・ポッター』の主人公:ハリー役のダニエル・ラドクリフ少年です。

思うにハリウッド映画には二系列あって、イーストウッド、メル・ギブソンなどの正統派マッチョ派とリチャード・ギアに象徴される正統派女性キラー派。
ところで、『スーパマン』といえばマッチョ派の最右翼、そのバージョンである『スパイタ゜ーマン』によりによって、少年フェイスが抜擢されるとは、これは新しく三番目の系列を作らなきゃならんなどと思った次第です。

けれど考えてみればマッチョ派や女性キラー派の主人公たちって、どちらも従来の男性や女性のあこがれであるわけです。
男性たちは彼らのようにヒーローになったり、女性にもてもてになりたいし、女性側としては強い男に守ってもらうか、あるいは妖しい魅力の男と地獄を見てみたい―まあこういう需要と供給の上に成り立っていたヒーローたちだったわけですよ―。

としてみると今は需要と供給に変化が出始めてきているといえます。
女性の主張が強くなってきている―もちろん守ってほしいしセックスアピールもあってほしいが、どう割り引いても女が損する愛欲の地獄は見たくないし、男側の独りよがりではいかん。
強さやセックスアピールの裏側に打算や狡猾さや頑固、身勝手さがあってほしくない。

究極するとひたすら愛と生き方に真摯で無垢であってほしいという願望が、少年フェイスをブレイクさせたのではないかと思うのです……。

後編に続きます